名経営者の建築と風水9<徳川家康に学ぶ>

 日本の戦国武将、徳川家康、その経営手腕で日本全国を支配する体制を確立して15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上も続いた戦乱時代に終止符を打ち、260年以上続く江戸時代の礎を築いた、日本を代表する名経営者である。

日本の都市計画に風水が利用されたもっとも身近な例として江戸、現在の東京があります。徳川家康が江戸城を改城し江戸幕府を置き、明治以降は日本の象徴である天皇家の皇居となっている。現在の日本にとって重心になる土地、重要な場所がどのような風水で守られているのでしょうか。

徳川幕府がおかれ、都市として整備される以前はほとんど未開ともいっていい土地だった江戸、沿岸部は湿地や草原で、内陸部は手つかずの山林、風水的にみても地勢がよい場所とは言い難かった。その江戸に目をつけ、平安京に負けないくらいの風水都市に仕立て上げたのが家康のブレーン天海僧正でした。天海はだだの比叡山天台宗の出身僧ではなく、空海の密教、神道の秘技、方位学、占いにも強かったようです。江戸も天台宗の呪術で守護しようと考えたのですがまともに江戸の地形を京都に似せようとしても違いすぎるからできるわけはない、ということで天海は、地形をみて性格を見つけるという中国的な風水をあきらめ、いかにも日本的な「言霊」を使う風水に切り替えた。要するに、山の形が似ている似ていないに関係なく、一つの場所を比叡山なら比叡山に変えてしまうために、そこにそのままそこにそのまま比叡山という名を付けてしまうのです。江戸という都市を整備する手始めとして、江戸城の鬼門に当たる上野に東叡山寛永寺を築いた。西の比叡山に対して東叡山の名をつけ、寛永寺に隣接する不忍池は琵琶湖を燃して比叡山の立地をそのままコピーした。平安京の鬼門方向にあって宮城を守護する比叡山をそのまま江戸に当てはめた。また江戸五色不動のひとつ通称目黒不動は泰叡山・龍泉寺で、江戸城を挟んでシンメトリーな位置に置かれ、裏鬼門を押さえている。

ちなみにこの線上に国会議事堂の中心が通ります、設計者は意図していたのでしょうか。

 

(江戸の鬼門封じ)

 

(江戸の五色不動尊)

江戸城を取り囲むように、目黒不動(目黒区竜泉寺)、目赤不動(文京区南谷寺)、目白不動(豊島区金乗寺)、目青不動(世田谷区教学院最勝寺)、目黄不動(台東区永久寺)の通称「江戸五色不動尊」がある。陰陽五行説では、それぞれの色が水、火、金、木、土を表し、この五つのエレメント(要素)で万物は成り立ち、それぞれが相克し、結びつき、循環していくことで現象世界が形作られているとした。陰陽五行は元々中国発祥の考え方だが、それが日本に入って、陰陽道に発展していく。

 

*この地図はレイラインハンター内田一成氏(江戸の鬼門封じと五色不動)から引用させていただきました。

 

おすすめの本 荒俣宏著「風水先生」 内田一成著「レイラインハンター」

この地図はレイラインハンター内田一成氏(江戸の鬼門封じと五色不動)から引用させていただきました
この地図はレイラインハンター内田一成氏(江戸の鬼門封じと五色不動)から引用させていただきました